劣等感が形成される理由と劣等感が形成されない理由

新人研修

新人研修は従順にするための儀式かもしれない。

 

他の人の欠点を言っているのを聴くケース

ダメージを受ける気持ちは分かる。

が、以下のように欠点を考えることの背景を考えると、

ダメージを受けないようにできる。

 

さらにお前は例外と言われるケース

欠点を考えるのが有益なケース(人事採用など)とそうでないケースがある。

「お前」については欠点を考えるのが有益ではないのでは?

 

逆に褒められるケースも同様に考える

 

会社で悪口を言うこと

会社は悪口が言われやすい場所だと思う。

利害関係が絡んだ人間が多数居るので、

いろいろ社会的なこと(相手の利害を推測したり、騙したり、騙されたり)を考えないといけない。

言葉に出さないで考えるのは難しいので言葉に出して考える。

その中に悪口も含まれるのでは?

 

2chの悪口

会社と異なり、2ch自体は利害関係は絡まない。

が、匿名なので、いろいろなことを言葉に出して考える場所として使われるのでは?

 

価値観の取捨選択機構

なんらかの常識やルールや価値観や行動に触れたときに、

それを取り入れるかどうかを取捨選択する。

この機構が弱いケースもあるらしい。

俺の場合はだんだん作られた気がする。

 

スペルカードを発動

なんらかの自分を揺るがすなにかを聴いてしまったときに、

以前そのことについて考えたことなら、

そのときの論理をぱっと頭の中で取り出して、

無害化できる。

考えたことがないことなら、

徹底的にそのことの是非を考えて、

スペルカードとして用意しておく。

 

情報を集める

やまをはる

価値観を選ぶには情報が必要。

情報を集めても判断できないときは、やまをはる。

 

小学生は勉強するべきかどうかをどう決められるのか?

そもそも価値観を選ぶという概念がないのでは?

しかし、中学生くらいになると、周囲から学習すると思う。

つまり、ルールや常識に歯向かうやつを見て、

ものごとは自分で考えたほうが得をすることを学習する。

みかちゃんとさきちゃん

さきちゃんなんて嫌い、絶交ね

忘れかけていた言葉が蘇る。

 

なんか、へいたいさんみたいやな、きんもちわるいわー

そうだ、さきちゃんの言葉だ

 

さきちゃんはあのときたしかにそう言った

私は打ちひしがれた

うなだれて帰路についた

 

わたしはただ休んだだけだった

国民の休日に休むことのなにがそんなに気に入らなかったのだろうか?

 

朝が来た

サラリーマンであるさきちゃんの指名は毎日かかさず出社することだ

本日、体調不良により、13時出社します。

りょうかい

N・S

上司からの返信はいつもこれだ。

まあ、そんなことはどうでもよい

最近は遅刻に厳しくなった

おおらかだった時代が懐かしい

テレビをつける。

うるせえばばあッピ

引きこもりのドキュメンタリーがやっていた

はあ、おれ、へいたいみたいやな

さきちゃんはぼそっと言った

 

20年後

私も立派なサラリーマンになった

いまなら分かる

さきちゃんのことが

今は誰もが自分の好きなことをして生きられる時代

幸せ上げ上げルティーン2

前回の記事で書いた幸せ上げ上げルーティンより少し抽象的なレベルで、上げ上げルーティンを考えてみた。

 

幸せルーティン2

・体が健康

・脳が健康

・体を動かしている

・脳を使っている

 

これをやっていれば幸せである仮説だ。

 

体が健康な状態で、運動する。

脳も同様に、よく寝たり糖分、水分、酸素などを十分に補給することで、健康になった脳で、とにかくなんらかの形で頭をつかう。

 

体が健康でないと運動も辛いし(疲労がたまりすぎているなど)、頭をつかうのも同様に辛い。逆に、体と頭が健康でも、それらを使っていないと面白くない。

両方満たされると幸福度が上がる仮説だ。

 

これ以上の幸せは分化していく。

 

なぜこれを考えたかというと、お腹が減っていない、眠くないなど基本的な欲求が満たされていることは、多くの人にとって共通の幸せだが、人間の幸せをそれだけで説明しても一部しか説明できないと思ったこと。これ以上の幸せは人それぞれとするには飛躍が大きすぎるということ。

 

また、マズロー欲求段階説は生理的欲求以外は客観的に観測できないので、人と幸せを語り合うには使いづらいということ。結局は自己申告になってしまい、お前の幸せ80%と俺の幸せ80%は同じなのか?などの疑問に行き着く。

-> 脳内物質を計測すればいいかもしれないが

-> ギネスで世界で一番幸せな人とかいって、ベータ・エンドルフィンの濃度を制限時間内にどれほど出せるか?とか、他人のベータ・エンドルフィンの濃度をどれだけ上げられるか?とかは面白いかもしれない。

 

幸せが人それぞれ説と、生理的欲求説の間を埋める説としてこの説を考えた。

客観的に観測可能なので、自分を客観的に振り返る一つの基準としても使えるし、他人と比較する軸としても使える。

 

シグナリングと言葉と行動

シグナリングで、代償の大きいシグナリングほど、確かなシグナリングだという考えがあるが、言葉を重視するか行動を重視するかをこれで説明がつくと思った。

ありがとうという言葉 -> 代償が安い。代償は、ありがとうと言う物理的なコストと、XXさんがYYさんにZZという点でありがとうと言ったという認識が形成されるコスト (オープンに言った場合。例えば、ZZを良くないものだと思っている人にZZを肯定しているとみなされるなど)

なんらかのありがとうに相当する行動や利益をもたらす行動 -> 言葉よりは代償が大きい

言葉を重視する人に対して言葉で返すのは、騙しているみたいでやらしいと感じる。

言葉と行動や言葉と感情(または、動かすのにコストが大きいなにか)が密接に結びついている前提であれば、言葉のコストが大きくなるから、言葉を重視するのは悪くない戦略だが、そこが分離している前提だと騙されやすくなると思う。

でも分離している人は言葉ではなく行動を見ないといけなくなるから、周囲からうさんくさいと思われるデメリットがある。

 

前記事で読んだ本で、チキンレースで勝つにはハンドルを外して相手にそのことを知らせれば良いと読んだが、言葉で相手に信用されたいなら、言葉となんらかのコストが大きいなにかが結びついている証拠を見せれば良い。

例えば、言葉をオープンな場所や言葉が利害と密接に絡む場所で言うとか(ネット、裁判所、国会で言うとか)、感情豊かにコミュニケーションを取るとか(感情表現にコストがかかるとして)、有言実行を見せつけるとか。

ステレオタイプとしての女性のコミュニケーションは、クローズド + 感情豊か + 有言実行。

男性のコミュニケーションは、オープン + 無感情 + 有言実行

といえるかもしれない。

※ あくまでもステレオタイプなイメージとして

 

どちらもありうる戦略だと思う。

有言実行については共通しているから、ここは守ると良い。

オープンを売りにするか、感情を売りにするかは分かれる。

 

自分と同じタイプだと意識しなくても良いと思うが、

感情を売りにしている人が、オープンを売りにしている人と接するときは、

感情は無視して、オープンかどうか、行動が伴っているかどうかを見ると良い。

逆の場合は、感情を見ると良い(普段感情を重視しない人が感情を見抜けるかわからないが)。

「人が自分をだます理由:自己欺瞞の進化心理学」オススメ本

以下の本を10%くらい読んだ。知っている人にとっては新鮮ではないかもしれないが、俺にとっては新鮮だった。中学生に読ませたい。

www.amazon.co.jp

 

実際どうか?というところはおいておいてこの観点は面白かった。

確かに、他人が言葉で言っている理由とは別の理由で動いていると感じたり、自分も同様のことをしていると感じたりすることがあったが、あまりにもそのことについて隠されているので、半信半疑だったが、いっそのこと、そういうものだと思ってしまえば、いろいろなことがすっきりする。

空気を読むような概念との近い気がする。同年代が狭い教室に集められて生活をさせられていた子供の頃はとくに感じたが、空気は確かにあって、それを読みたくなる気持ちもわかったが、ゼロベースで考えるとなぜそんなものがあるのかわからない側面もあった。

罰しないやつが罰せられるムードがあると規範が守られるというのも肌感覚で分かる。

クラスのボス「XXくーん、YYくんがZZしちゃったんだけど、どうしたら良いと思う?」

 

ポイントは、本当の理由は徹底的に隠されるのが当たり前という点。さすがにそんな悪人は居ないだろう、話せば分かるだろうというのは間違えている。この誤解によって不幸になっている人は多いのでは?理解していても徹底的に隠されると勘違いしてしまう。

実は気づいていないのは俺だけだったのかもしれないが、なにかが別の理由で動こうとしていて、それが自分にとって不利益な場合は、はっきりとそれを認識して(隠されていると忘れそうになるが)、こちらも別の理由で阻止するか、暴露によって阻止すると良いかもしれない。認識するだけでも幸福度は上がりそう。